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高橋是清邸内展示
「日本銀行・横浜
正金銀行時代」


9月1日(火)~12月25日(金)
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第1章

日本銀行との出会い

ペルー銀山開発に失敗し、失職中だった高橋是清は、日本銀行総裁川田小一郎の斡旋により、1892年(明治25)6月、建設中の日本銀行本館の建設所事務主任の職を得ました。38歳からの再出発です。
本章では、日本銀行本館の錦絵や絵葉書を展示します。建築の壁部分をよく見ると、1階と2・3階では材質や仕上げが違うことがわかります。建築途中に是清がある騒動に遭遇し、彼の機転により、騒動を収めた結果、このような仕上げになったのです。詳しくは、展示室の解説をご覧ください。

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絵葉書 日本銀行本館
江戸東京博物館 所蔵
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上記資料の右下部分を拡大してみると1階(人力車夫の背の高さ)とその上の違いがよくわかります。
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第2章

日清戦争~在外支店視察の旅

日本銀行本館建設工事に関して難問を解決し、さらにコストや労務の管理を効率化した業績が認められた是清は、1年後(1893年)の9月、日本銀行に入行して支配役となり、新規に開設する西部支店長として、馬関(現在の下関)に赴任しました。
是清は、1894年(明治27)に始まった日清戦争の軍事公債の募集で好成績を上げ、1885年8月には、横浜正金銀行本店の支配人に就任、さらに1897年には同行の副頭取となるスピード出世を遂げました。
是清は、同行在外支店の視察のほか、今後起こりうる対外戦争に備え、外債募集の可能性を欧米の金融界に探る密命を受け、1898年(明治31)、葉山から出発して神戸、下関を経て長崎の支店候補地を視察した後、半年にわたる海外視察を行いました。
本章では、海外視察の最後に訪れた米国ナイヤガラの滝観光の写真、日清戦争の年表や軍事費の収支に関するパネルなどを展示しています。
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記念写真 ナイアガラにて
1898年(明治31)8月11日
左から是清、一人おいて横浜正金銀行
ニューヨーク出張所長 長崎夫妻
江戸東京博物館 所蔵
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第3章

日露戦争と外債募集の旅

1899年(明治32)3月、高橋是清は日本銀行副総裁に就任し、銀行家や企業への融資の客観的基準の策定、用度の整理など、内部の改革を進めました。また、この年、是清は赤坂表町(現在の港区赤坂7丁目)の宅地を購入し、本所押上から一家で移住しました。現在公開している邸宅は3年後の1902年(明治35)に竣工しました。
1904年(明治37)、日露戦争が起こり、高橋是清は、財政顧問井上馨から、財務官として当時の金融の中心地ロンドンへ赴き、時機を見て外債募集をするよう命じられ、2月24日、秘書の深井英五を伴って横浜港を出発しました。ニューヨークで米国の金融事情を調査後、ロンドンに渡り、さまざまな交渉の末、5月と11月に各1000万ポンドの公債の取引を成し遂げました。是清は翌年1月に帰国し、この功により、貴族院議員となりましたが、さらなる公債募集の命を受け、2月、再び深井とロンドンに向かいました。3月、7月に各3000万ポンド、11月には2,500万ポンドの公債が取引されました。11月の公債募集時には、パリ・ロスチャイルドを中心に、長年ロシアへの財政支援を行ってきたはずのフランスまでもが人気の高い日本の公債を求めました。
本章では、日露戦争の年表と戦費調達に関するパネルや欧米諸国が日露戦争に高い関心を寄せて見守っている様子を風刺した刷物などを展示します。

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モリス・ロスチャイルドと歓談する高橋是清
(1934年・昭和9)
江戸東京博物館 所蔵
この写真は是清の晩年、訪日中であったモリス・ロスチャイルドが大蔵大臣官邸を訪ねた時のもので、是清が外債募集に奔走した時代以来、ロスチャイルド家と是清の長い親交がうかがえます 
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第4章

日本銀行総裁就任と贈りもの

1911年(明治44)6月、横浜正金銀行頭取を辞し、日本銀行総裁に就任しました。翌7月、明治政府の悲願であった条約改正により関税自主権が確立し、これを機に、8月、第二次桂内閣は総辞職し、第二次西園寺内閣が成立しました。
国内では10月、伊藤博文暗殺、翌年7月、明治天皇崩御、国外では10月、辛亥革命、翌年1月中華民国成立、2月、清朝滅亡など、激動の時代を経て、1913年(大正2)2月、山本権兵衛内閣成立に伴い、高橋是清は大蔵大臣に任命されたため、日本銀行総裁としての在任期間はわずか1年9か月でした。
本章では、日本銀行総裁就任を記念して、横浜正金銀行員一同より贈呈された高橋是清木像、贈呈書を展示します。木像は、高村光雲の弟子、米原雲海の作で、1911年5月、同行有志が制作を依頼し、1914年(大正3)5月に完成、目録とともに、同行員一同より是清に贈呈されました。贈呈書は太巻きの巻子で、巻頭に木像贈呈の経緯が漢文で記され、その後、同行次期頭取を筆頭に、役員、本店、国内外支店及び出張所の行員500名余りの署名が続き、圧巻です。今回は巻子の写真をパネル展示します。

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高橋是清木像 1914年(大正3)
米原雲海 作、横浜正金銀行員一同 贈呈
江戸東京博物館 所蔵

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高橋是清木像贈呈記 1911年(明治44)
横浜正金銀行員一同 署名
※今年度はパネル展示

江戸東京博物館 所蔵
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